I'm here! / Kyoko Imakiire

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航海中の連絡の記録です、みなさまの声援は「なんでも掲示板」まで

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<海と生きる海と遊ぶ NO3>
 キューリ E-MAIL  - 06/5/26(金) 11:07 -

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   私は10メートルあまりのヨットを住処としている。
海の上を移動する家。
舫を解きさえすれば世界の海に乗り出していける家。(実際には国際航海には様々な手続きが必要なので、思い立ったが吉日とはいかないが・・)
そう思うだけで海人間としてなんだか不思議な満足感を得る。

 朝5時、近くの漁船が漁に出かけ、その引き波で起こされる。露に濡れたデッキをひと回りし異常がないかチェック。ヨットが揺れても大丈夫なコンロで湯を沸かしコーヒーを入れる。PHS電波で送受信できるパソコンで、メールとニュースと天気のチェック。さすがにヨットに新聞配達は頼んでいない。
 私の相棒はこのヨットから出勤する。お弁当を持って。海をまたいで。
仕事仲間からの皆からは「海の上に住んで大変だろう」と同情を買っているようだが、一度遊びに来ると「いいな!うらやましい」と反応が変わる。皆立派な家を持っているが、ヨットの船室の隠れ家的な雰囲気が妙に楽しいらしい。
船室の広さは普通の家にすると8畳くらい。その中にトイレも台所もリビングもコンパクトに収まっている。デッキにはテーブルがあり、数人は腰かけられる広さがあるから、晴れた日にはここがオープンテラスのような役割を果たす。
庭は木なんて生えてないが、広い。なんたって世界の海が庭である。

 しかし、海の上に住んで困った事は相当ある。
まず、住民票。私は以前市役所職員で住民票の係をしていた。市民の皆さんに「住民票はしっかりしてください」とお願いしていた立場にあったが、日本ではいかんせん海の上に住民登録をする事は出来ない。しかし、日本の一市民として住民登録はせねばなるまい。私は実家に住民登録をしている。
行政に関しての様々な事項はこれで一応解決。
 現実的に困っているのはゴミの問題。海の近くにゴミステーションがなく、面倒だが普段は実家に持ち帰り処理している。しかし、あちこちに寄りながらの航海をしている時はこれは出来ない。地元の方にその地のゴミ事情を聞き、たまには市町村発行のゴミ袋を一枚しか使わないのに大量に購入し、頭を下げ、ゴミを出させて頂く。
日本の港には(立派なマリーナ以外)ゴミステーションもゴミ箱もない。有料でもいいから・・・と思うのだが、ない。おかげで多くの港は地元の方や釣り客などが残したゴミが散乱している。
「ゴミは持ち帰りましょう」と看板を立てるだけで水際からゴミをなくそうとするのは無理な話ではないか、といつも思う。水際のゴミが一掃されたら日本の海に多く見られるビニールのゴミ袋なども随分と減ってくるだろうに。
現在、観光客が多く訪れる山などでのゴミ処理が問題になり、様々な解決策が打ち出されているが、海の方は何も変わらない。
ちょっと気晴らしに、ちょっと散歩に、と海の近くに遊びに来る人は観光地に訪れる人の数の比ではない。多くの人達はそれほど海を愛している。それを考えれば海のそばにはもっとゴミ箱やトイレを設置すべきだろう。
今の日本の海際は「海で遊ばないでください」と暗に人を締め出している印象さえ与えてしまう。

 かつて海の上で暮らしていた日本人は多かった。
家族で漁船に乗り生活をしながら魚を追っていた人達も随分いたが、行政指導により姿を消した。北九州市では条例として海の上で寝泊りする事さえ禁止しているという。住民登録しない、あるいは住民登録出来ない住民が増えても困るのだろう。
しかし、欧米などでは海の上で暮らす人が確実に年々増えている。昔ながらの海洋民族の血もさることながら、国としても理解を示し対策を講じている。
また、パソコンや携帯電話などの情報通信ネットワークの充実も海上生活を手助けしている。
海の上で暮らす子供たちの為の通信教育プログラムも存在する。
以前オーストラリアから航海してきたヨット一家。
小学生の子供2人は朝から一生懸命船室で宿題をしていた。
「昼までにすませなきゃ先生に怒られる」と必死。宿題はパソコンでオーストラリアの先生に送り、先生はまたパソコンで子供たちに答えていた。
 また、ドイツのセイラーは毎日株価のチェックに余念がなかった。
日本の片田舎の漁港に泊めたヨットの船内でパソコンとにらめっこしながら売り買いの指示を出す。「儲けたら帆を買うんだ」とにやっと笑った。

 日本で海の上に暮らす人がもっと増えたらな、と願いはするが、そのためには行政手続きや人々の意識が変わらなければ問題は多い。「海のホームレスだな」とがっかりするような事を言う人もいる。いえいえ、このヨットが立派な家なんですよ。わかりません?
いつのまにか日本人は土地に定着した生活が当たり前になったようだ。歴史を辿ればいかに多くの日本人が海の上で生き、海を自分の庭としてきたか解る。
日本文化、言葉、文字、風習、物資、今私たちの周りに存在する何気ないも
のが、海の道を通り海で生きる人間により伝えられたものである。
だが、海の上で多くの日本人が暮らしていたのは遠い昔ではない。昭和40年頃までは船で暮らす家族は多くいた。高度成長期ですべてが変わってしまったようだ。


私は日本の海を誇りにしているからこそ海で暮らしたいと思うし、日本の海を感じていたい。
 しかし・・・この家・・・よく揺れるなあ。

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<海と生きる海と遊ぶ NO2>
 キューリ E-MAIL  - 06/5/12(金) 2:59 -

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   う〜ん。すみません!
「こら!更新しろ!」・・・確かに!ですよね〜(^^;
「海と生きる 海と遊ぶ」のNO2です。どうぞお読みくださいませ〜m(  )m

****************************************************

海の遊びは、孤独な遊びと思っている方が多いが、出会いを求めると際限なく賑やかになる。
私は一人ぼっちで太平洋横断や世界一周航海もしているが、大勢でわいわいの航海も大好きだし、海際での多くの出会いを楽しみに海の旅を行なっている。
私がいつも海で心がけていることに、すれ違う船には必ず挨拶をする、というのがある。あまり派手に手を振るとSOSに間違えられるので、会釈か「おーっす」のポーズ。
貨物船のような大型船にも操業中の漁船にも小さなカヤックにも、海上に浮いている船には必ず挨拶をする。うれしいことに、その挨拶に対して挨拶を返さない船はまれだ。
またに「ぼーっ」と大きな汽笛で返事を頂くこともあり、びっくりしてしまうが。

港に入った時も必ず誰かを見つけて声をかける。
例えば・・・
「こんにちわ!ここに一晩泊めさせて頂きたいのですが、よろしいでしょうか。」
「俺にはわからんな。あっちの事務所で聞いてくれ。」
「わかりました。ありがとうございます。」
そして許可を頂くためにうろうろ。でもしっかりと挨拶してお話すれば皆さん非常に親切。
「そっちはあまり錨が効かないからこっちの方がいいぞ。」
「ありがとうございます。移動します。」
「風呂はあそこにあるぞ。」
「ありがとうございます。」
「どっから来たんだ。」
「鹿児島です。」
「おお、行った事あるぞ。灰が降る所だな。」
「今日は時化てただろう。」
「はい、大変でしたよ。でも生きてて良かったです。」
「本当だな。ここは良い所だからゆっくりして行けよ。」
海に生きる方々とあっという間に親しくなり、しばらくしたら焼酎と新鮮なお魚料理で一杯、ということも多い。

子供たちが興味津々で遊びに来てくれることもある。
「どこから来たんですか。」
「九州の鹿児島だよ。知ってる?」
「うーん。わからないけど名前は聞いたことあるよ。」
「そうか。ヨット乗ってみる?」
「はい!」
この頃、子供たちに抜群の人気を誇る漫画のおかげで、ヨットや帆船は子供たちの憧れのようだ。あっという間に友人になり、住所の交換をする。仲良くなり過ぎて保護者の方からも「是非一緒に乗せてほしい」と懇願され、航海を共にした子供も随分いる。
こんな感じで友人になった方数知れず。「港々に友達あり」は私の最高の自慢だ。これもすべては挨拶のおかげだろう。

海外ではヨットはほとんどマリーナ停泊になり、ヨットクラブに御世話になる。しかし、日本では、特に地方では漁港停泊がほとんどだから、そこに住む方々、そこの海に生きる方々、広い幅の方々と知り合うことが出来る。私はそれが日本のクルージングの最大の魅力だと思っている。
だが、たまには「プレジャーボート・ヨット入港禁止」と入り口に大きく書いた港もある。さみしい。悲しい。しょんぼり・・・。
「我々は海の仲間と友人になる気はありません」
と宣言されているように感じる。そんな所でよくよく話を聞いてみると
「以前やってきたボートやヨットの連中がひどかった。挨拶はしないし、ゴミはそのあたりに捨てていく。最低なマナーだった。」
そのような過去がある。ひどい。これでは「入港禁止」もやむを得ない。海で遊ぶ資格もない一部の人が起こした問題で、こんな結果になってしまったなんて悲しいが。
しかし、漁港や漁協が率先して、ボートやヨットを受け入れようとする動きもここしばらく活発になってきた。
地元の海産物販売や地域の活性化のために、もっともっと海からもやってきてほしい、という発想だ。ボートやヨットの方々も堂々と出かけやすくなり、「有難い」という声を聞く。こんな作戦が日本中に広がれば最高にうれしい。
過疎地となった海際の街や、大きな港があるのに地元の船が少ない、など問題を抱えている所も多いが、意外と発想の転換で素晴らしい街づくり港づくりが出来るのではないだろうか。
海で会う人や船同士が挨拶を必ず交わすようになったら、日本の海は変わるだろう。挨拶ひとつで人の気持ちは大きく変化するのだから。

「こんにちは」
「今日の海はどうでしたか」
「お魚釣れてますか」
「波が高いですね」
「安全航海してください」

そんな簡単な挨拶で、大きく広がる海の世界。海のネット
ワーク。
素晴らしいと思いませんか。

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<海と生きる海と遊ぶ NO1>
 キューリ  - 06/3/8(水) 14:29 -

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   冬眠してたわけじゃないですが、ここに書くのさぼってました。
ごめんなさい!
今年初の書き込みは、ちょっと真面目に書いた文章を載せちゃいます。昨年から書かせて頂いている「国土交通」(国土交通省発行)という雑誌のエッセイ<海と生きる海と遊ぶ>です。
海の世界の面白さをお伝え出来ればうれしいなあ!

************************
<海と生きる海と遊ぶ NO1>

ものごころついた時から、海と遊んでいた。
砂遊び。
貝殻拾い。
波と戯れ、沖へと泳いでいく父の背中を追い、足のつかない恐怖を感じ、それでもバタバタと泳いだ。
魚釣りや貝ほり。
岩場の生き物観察も最高に楽しい時間だった。

 海に吹く風はいつも心地良かった。
 海から聞こえる波の音に心弾んだ。

今でも、かわらない感覚だなあ、と苦笑交じりに想う。
海に感じる気持ちはあの頃からまったくかわらない。成長していないのかもしれないとふと思う。しかし、これが「原体験」というものだろう。
 ヨットに乗り、太平洋を縦横無尽に航海しても、世界一周しても、台風の真ん中で転覆しても、人のやらないような冒険航海に突き進んでいても、私の心の中にはいつもいつもあの頃感じた海へのときめきが存在している。

 故郷の海辺でぱちゃぱちゃと遊んでいた頃からすると、私の海の世界は信じられないほど大きく広がった。それこそ今の遊び場は、「七つの海」。
美しすぎるほどの海、自然の神様が作り上げた芸術作品のような海、人々が快楽のために作り上げた海、人々を海から遠ざけるために作られた壁に囲まれた海、「ごめんなさい」と謝りたくなるほどの荒れた海、どれも真実の海の世界であり、私はその大きな世界で遊ばせてもらっている。

 遊び場では物足りず、ここ数年は海の上のヨットで暮らしてもいる。今日、今、この一瞬の波も風も感じていたい。
海の成り立ちに比べれば、私たち人間の一生なんて、短すぎる。その短すぎる中で、どれだけのときめきを感じられるだろうか・・・そう思った時、私には海と風と共に生きる生活が必要だと切実に感じた。
 ゆるやかな風が起こす、この打ち震えるようなさざ波ももう二度と感じる事の出来ない経験なのである。勢力をまして襲ってくる台風の巻き起こす風もうねりも、この身で感じたい。
どんな海の姿も受け止めたい。どれも私の愛する海の一面なのである。海への想いを人一倍持っているという自負心があるならば、海の真の姿を見つめなければ。感じなければ。それほどの愛情とときめきと覚悟を持って海と風と共に生きたい。
そう、それが、私の生き方。

日本で私のように生きている人は少ないだろう。これほどに海にのめり込む人が増えてほしいとは思わないが、多くの人にちょっとでも 海や海辺の魅力を感じてもらうためにはどうすればいいか。それはいつも考えている。
確かに海には厳しい一面もある。では海から離れて人は生きていけるのか、というと非常に難しい。特に、海に囲まれた日本では無理な事だ。
でも、子供時代に私のような海での原体験を持つ人も少なくなった。
 テレビや映画や雑誌で海外の海や海辺の風景を見る。「海で遊ぼう」と多くの人が海外にでかける。日本の海はそんなに魅力がないだろうか。遊べない状況になってしまっているのだろうか。
私は思う。魅力がないわけではない。遊べない状況でもない。遊ぶ気がないだけ。魅力を感じる機会が少ないだけ。私たち海に関わる人々の努力が足りないだけ。
 海の国、日本。もっともっと海や海辺に目を向け、素晴らしい日本の海をもっと褒め称えよう。海に生きる人々がもっと胸をはろう。そして「この素晴らしい海の世界にようこそ」と多くの人を歓迎しよう。

 先日、子供時代に御世話になった砂浜に行った。近所に住むというおじいさんが散歩していた。波打ち際でなんとも良い表情をした流木を拾っていた。
「この海はかわらないですね。きれいですね。」
「ああ、そうだな。昔に比べたら遊びに来る人が少なくなったけどな。まあ、何もないからな。」
「何もないって・・・でも、そんな流木がいっぱい落ちてるし、貝もとれるし、良い所ですよ。」
「まあな。わしは流木拾いが生きがいでな。毎日見に来るのが楽しみでしょうがないよ。」
何もないかもしれない海辺・・・でもおじいさんには宝物のつまったかけがえのない自分だけの庭。私はうれしくてしようがなかった。私はおじいさんと少しばかり、同じように波打ち際を歩き、同じように流木を拾った。
 その数日後、私は所用で東京の人ごみの中にいた。立ち寄った雑貨店。とあるコーナーで流木が売られていた。
流木が売れるのか・・・ちょっとびっくり。おじいさんの拾っていた流木よりセンスは乏しい。値段を見て手が震えた。2万8千円。
 おじいさん、私たちはシアワセなのかもしれないね。とっても。

ときめきいっぱいがあふれてる海が、ほら、そこにあるよ。
あなたには見えるかな?

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第18常磐丸!
 キューリ E-MAIL  - 05/12/12(月) 3:03 -

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   <12月7日>
どうしてもお会いしたかった方々にようやくお会いする事が出来ました。
お会いして、自分の気持ちを、どう、言葉にすれば良いのか・・・どんなお話をすれば良いのか・・・緊張と動揺、感謝とお詫び・・・様々な心が溢れていました。

とにかく山川港へ。
そこには大きな緑の船がありました。
鰹の水揚げで皆様忙しく働いていらっしゃいました。

「第18常磐丸」

どれほどこの船名に手を合わせたことか・・・

本間機関長が船内に案内下さり、皆様と様々なお話をする事が出来ました。
お忙しいのに、長い航海でお疲れだろうに・・・申し訳ありません!
でも、でも、心優しい逞しい常磐丸の皆様でした。
ありがとうございます!
何もかも・・・ありがとうございます!

10日、来年にまたがる航海への出航との事です。
お見送りさせて頂きます。


<12月10日>

出航前のお忙しい中、常磐丸の皆々様と再会。
帰省されていた漁労長、船長ともお会いできました。
本当に皆様穏やかで優しくて逞しくて・・・「海の男」です。

モヤイが解かれる。
「山川の皆さん、お見送りありがとうございます!入港中は大変御世話になりました。またお会いできる日を楽しみにしています。」
ブリッジから漁労長がマイクで素晴らしい挨拶をされ、それにあわせるように多くの見送りの方々が大きく手を振りました。

なんだか、じーんとして、常磐丸が見えなくなるまで港に立っていました。

今回の航海も南緯まで下がられるそうです。

いってらっしゃいませ!

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海の男・たっちゃん!
 キューリ E-MAIL  - 05/12/8(木) 17:44 -

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   三島村村長選挙の応援に、一週間頑張ってきました。
実は、今までいろいろと選挙応援のお誘いはあったですが、「政治、宗教の活動には関わりたくないので・・・」と断ってきました。
でも!
海の男「大山辰夫」、たっちゃんの応援には、三島村のためにも行かねばならぬ!よーし、私も頑張るぞー!

鹿児島県薩摩半島南部の東シナ海に浮かぶ3島で成る三島村。
黒島、硫黄島、竹島、総人口は400人足らず。
鹿児島県でも最も小さな自治体です。
でも、海の人間の立場から見ると・・・すごい所です。
島の沖は国際航路になっていて、一日に相当な隻数の外国船が行き交っています。日本にとって、非常に重要な位置にあります。
それをまた一番理解していたのは、たっちゃんでした。

34年間、村民を守ってきた栗原村長亡き後の大事な大事な村長選挙。
多くの方の意見も聞いた上で、議長であり漁協組合長やいろいろな要職も歴任し、しかも三島村一元気な大山たっちゃんしか村長出来る人はいないよ〜!と、確信しての応援でした。

日頃のたっちゃんのすごさをわかって下さる方々の信念ある応援のおかげで、大山辰夫村長になれました!
たっちゃん、これから大変なことがいっぱいだと思いますが、「三島村丸」の船頭として、一生懸命頑張ってくださいね!

これからは背広姿が多くなると思うので・・・日頃のたっちゃんの姿をぱちり!
タオルがいいね〜!
うふふ♪

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涙の・・・三島村村葬
 キューリ E-MAIL  - 05/11/27(日) 23:23 -

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   昨日、三島村栗原村長の村葬が行われ、参列させて頂きました。
毎年大人気の「ミシマカップヨットレース」の実行委員長は村長でした。
そして私は副実行委員長。
いつも三島村に御世話になっているヨット乗りを代表して献花もさせて頂きました。
また涙ぐしゅぐしゅ・・・でしたが。

栗原村長は10月22日に御病気で亡くなられました。でも、回復を信じていた三島村の方々には、突然の悲報。村長、入院中なさっても「見舞いに来ないのが見舞いだ!」と言われていたそうです。
あまりにも突然の事で、先日の葬儀に駆けつけることが出来なかった方も多くいらっしゃいました。
海が障壁になる「離島」のつらさ難しさです。
3つの島でそれぞれお別れ会を行う案も出たようです。
結局、役場のある鹿児島市で行われることになり、昨日は村の方々も大勢船でいらっしゃいました。

34年間村長を勤められた栗原村長。
「栗原さん」ではなく「村長」がぴったりの方でした。
そのお人柄、パワー溢れる行動力・・・国、県、市町村関係はもとより、村長を慕う多くの方々が出席されていらっしゃいました。
さすが村長!です。
弔辞の中では必ず「ミシマカップヨットレース」の名が語られ、村長の歴史を振り返る「大いなる航跡」と題されたビデオの中では、ヨットレースのシーンやレースパーティで笑顔でヨットを語る御姿もありました。
悲しいけれど、寂しいけれど、なんだかうれしかった。
村長がヨットレースを本当に最高の自慢にしてくれてたんだ、と実感しました。
ありがとうございました。

涙ぐしゅぐしゅでくやしかったので、夜は村や役場の皆さんと大いに呑みました。
うっ、朝近かったような気がする・・・まだ二日酔いです。

29日は村長選挙の告示です。
泣いてばかりはいられない。
未来に向けて頑張らねばね!
なぜか私も29日は久々に三島村にお邪魔する予定です。
「がんばれーたっちゃん!」
って叫ぶのかな?
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Qちゃん!
 キューリ E-MAIL  - 05/11/20(日) 22:05 -

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   おこがましいかもしれませんが・・・
同じ「Q」のつく、Qちゃんがすごいです!

故障や様々なトラブルをものともせず・・・

東京国際女子マラソン優勝〜〜!

かっこいい〜!

おめでとー!
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航海していたら・・・ね!
 キューリ E-MAIL  - 05/11/20(日) 1:47 -

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   今、ブログ(Weblog)が人気のようです。

私も「おきにいり」のブログがいくつかあります。
ほーほー!
へぇ〜!
ふむふむ。
ブログって「日記」「メモ」みたいな軽い感じに思えますが、様々な世界を柱の影からそーっと見てるようなわくわく感、スリル感がありますね。多種多様なブログがあるからなんとも言えないですが。
毎日のように更新されているブログを見ると「毎日えらいなー」と、ただただ感心します。

こないだ、ヨット仲間の先輩から言われました。
「きゅーりー!ブログちゃんと書けよなー!おまえは人が書かなきゃ何も書かないんだからー!まったく!」

うへへ!
私、(いわゆる)ブログやってないです〜。
それとも掲示板のことだったのでしょうか?
ま、でも、はい、ここ「I’m here」はブログみたいなもんですね。
ここのことかな?

とりあえず・・・何か書いとこう!
わはは!
見てるかなぁ〜Nさーん?!

毎日ナニカを書くのは大変ですね。
航海行くかなー・・・
なぜか海の上だと伝えたいことがいっぱい出てくるんですよ!
へんなの。
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びくびく
 キューリ E-MAIL  - 05/11/14(月) 1:15 -

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   どうもなかなか自分は弱っちょろいヤツかもしれない。
毎日、なんだか、びくびく。

家がヨットってのも考え物かもしれないなぁ。
遊びにやってくる人も多いけど、物珍しげに眺めていく人も多い。

こわそ〜な人もいる。
「こんにちわ〜」
と、声をかけても
睨まれたり・・・。
(もー、声かけなきゃよかったぜ!)

全く知らない人が
「お邪魔しまーす!」
とニコニコ顔でやってきたり・・・。
(ど、ど、どちらさまですか?!)

ひどい人は
何も言わずに
コンコンもせず
静かにデッキに立っていたりする。
(あんた誰よ?警察呼ぶぞ!こわいだろー!)

ま、こんな変な人だけじゃなく、風や物音もしっかりこわい。
突然の疾風にヨットのあちこちから悲鳴のような音が出始めたらたまらない。そわそわしてしょうがない。こうなったら夜も昼も関係ない。どこか壊れないかな?大丈夫かな?びくびくしどおし。
(おー、びびってる間にもう朝だよ〜!)

幽霊も怖い!
狭いキャビンの中で、自分の影にひぇ〜とびびっていたりする。
(かみちゃまの霊視の方がこわい事実はあるけど・・)

そんなやわな神経じゃないよな〜私・・・と思っても
実際いろんな事にびくびくしてるんだから、やっぱりやわなのか?

なんか、これじゃ、シングルハンドで長距離航海してる状況と一緒。

びくびくしてる姿をいつも呑気に笑うかみちゃまがいないから、なおさらやわになってるのよね、この頃・・・
やっぱダブルハンドがいいのかなぁ。
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伝えたいのは何?
 キューリ E-MAIL  - 05/10/26(水) 1:34 -

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   自分の中から湧き出る伝えたい事・・・何だろう?!

原稿や講演を依頼される度に自分に問う。
何かのテーマを与えられる事はほとんどない。与えられた方が随分と楽だろうなぁとは思うが、「自由に!何でも!」と言って下さる心のでっかい方々に感謝しなきゃ!

今日も一本原稿を書いた。
あ〜この事を伝えたいな。あ〜あれもあった。あ〜あ〜あ〜。
こんな調子でテーマを決めるまでが一苦労。
「海」をおおまかな題材としても、言いたい事伝えたい事、わんさかある。
もうちゃっと突き詰めて物事を考えなきゃいけないかもしれないが、それをし過ぎるのも怖い。
立ち止まり、前に歩けなくなるんじゃないか・・・。
思考の堂々巡りは太陽の光や流れる風を遮ってしまう。

「生きているからこそ!」
痛感する今日この頃。
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ふたつの大事なこと・・・
 キューリ E-MAIL  - 05/10/24(月) 19:38 -

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   ヨットレースを村おこしの要と位置づけ、個人的にも可愛がって頂いていた三島村栗原正村長が突然逝ってしまわれた。

お通夜で村長の穏やかなお顔を拝見し、びしょびしょ泣いた。
告別式は村長を慕う大勢の方々が参列し、皆でびしょびしょ泣いた。
「村長、あなたは不死身だと思っていました・・・」
友人代表の村の収入役の絶句にも近いお言葉。
そう、申し訳ないが、私も含めてきっと誰もがそう思っていたに違いない。
それほどパワフルな強い村長だった。
それなのに・・・・つらい・・悲しい・・・

長い長い多くの方の御焼香の後、僧師が静かにお話をされた。
「・・・・どうぞ、みなさま、今日は、ふたつの大事なことを想ってください。ひとつ。別れはつらいですが、出会いがあったからこそ別れがあります。正様に会われた事に感謝してください。ありがとうございます、と正様に想ってください。ふたつ。正様の思いや願いをどうぞ受け継いでください。今はつらいでしょうが、それが故人に対する皆様の御心になるでしょう・・・」

断崖絶壁の三つの島、三島村。
その厳しい地に生きる心溢れる人々に愛された村長。
御冥福をお祈りいたします。

「私は忘れない」
有吉佐和子さんの小説の舞台が村長の生まれ故郷でしたね。
村長・・・忘れません!
ありがとうございました!
ありがとうございます!
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風は吹いている!
 キューリ E-MAIL  - 05/10/23(日) 2:05 -

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   何故か過ごしてきた。

関わる人の心を感じ・・・
言葉の重さを思い・・・
憂いに戸惑い・・・

もの達を確証する。
それらは必ずしもいらない。
欺瞞さえ見る目をはずせ!
心を生かせ!

風は吹いている!

おまえは
生きている!
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I'm here!
 キューリ E-MAIL  - 05/9/21(水) 1:35 -

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   「I’m here」2004年1月1日。

ひとつの確信。

青を笑え。

白を楽しめ。

白に泣け。

*********************************************

2004年が来た。
年号が変わる、大晦日、元旦、そんな数のマジックにいてもたってもいられず、別な世界を捜して飛び出した時もあった。
自分が何者であるか、何をしたらいいのか、わからなかった。

今でもわからない。
妄想に浸れる人は幸せかもしれない。
判断した気になってる人は、ある意味正しい。
精神の堂々巡りは真実を求めた人の真実だろう。
でも、動かなきゃ!
太陽が今日も昇る。
海が今日もざわめく。
確かに地球は今日も生きている。

私が生きるために・・・
私の生きているという感覚を私が感じるために・・・
今日も何か動かなきゃ!

私はここにいる。
ここに・・・生きている私がいる。
私はここに立っているよ。
ここにいるんだよ。

生きている限り私は生きていてもいいんだよ。
生きてるんだよ。
ここにいるんだよ。
自分の生きる足跡を確かめるために・・・
I‘m here!!
いつでも・・・私は、確かに、ここにいる!
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ゆったりとした別れの中で・・・
 キューリ E-MAIL  - 05/9/4(日) 13:38 -

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   今年は畑下栄さんのことで埋め尽くされたと言ってもいい。
心も身体も時間もすべてを栄さんに奪われてしまったよ。
ひどいね、栄さん!
でも、なんとなく、こんなこと出来る自分がいたんだなぁ、と感慨にもふけってしまっている。

遥か遠い太平洋上から救われて帰ってきた「MIYA」。海保が見つけて下さった保管業者の方は、「MIYA」を「縁起の悪いヨット、廃船にしますか?」と、御遺族の方に平気で言い放った。あのような事故があり、皆一種のショック状態にいるというのに・・。
「今後どうすればいいか解らないから協力して!」との御親戚に依頼され、とにかく落ち着いてMIYAの掃除や整備をするために東京の夢の島マリーナに場所を移した。
夢の島で御世話になる東京ヨットクラブの皆様はとても好意的で、様々なお手伝いをして下さる。「今日はどんな具合?!」と、私たちの作業をチェックし「あー!もっと頑張らないとだめだ!」と厳しい励ましのお言葉まで下さる。キャビンにドデンとある畑下さん御自慢のチャートテーブルに自然と手を合わせる方もいて、有難い。
太平洋の波に揉まれ、大変な状態になっていたキャビンも、脱落していたブームもetcetc、2週間の作業の間に綺麗になった。「おっ!畑下さんが使っていた頃より綺麗だ!」と言って下さる方もいる・・・ごめん、栄さん・・・(^^;
私とかみちゃまは約3週間、MIYAに泊まり、掃除や整備や宴会(?!)に明け暮れた。当初は2週間の予定だったのに、台風襲来、米国からの御遺族の来日、で、結局伸び伸びになってしまった。静かな夜は「ねえ栄さん・・・」と、栄さんともいっぱい話をした。こんなにゆっくりゆっくり時間をかけて別れの時を過ごすことが出来た事に感謝している。

9月2日、畑下栄さんの息子が米国より来日した。栄さんより息子との間に溝がある事は聞いていたが、礼儀正しく優しそうな息子さんの笑顔にほっとした。栄さんの残したたくさんの写真を思いつめたように手にし、一枚一枚大事に目を通した。彼はいつも栄さんが座っていたソファに、栄さんと同じように立膝で座り、ひっそりと泣いていた。初めて見たMIYA、お母さんの名のつくこのヨットにどんな想いが交錯しているのだろう。
MIYAは米国に輸送する予定になっている。息子さんが頑張って今後の事は対処するとの事だった。

長い畑下栄さんとのつきあいも終わりに近づいている。
もうきっと泣かないだろう。
栄さん、もういいよね?
ありがとうね!

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彼は海へ帰った・・・
 キューリ E-MAIL  - 05/7/23(土) 10:53 -

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   畑下栄、81歳。壮絶な海の男だった。
去る7月4日、彼は自艇のヨットの中で遺体で発見された。
北緯33度44分、東経157度00分。広い太平洋の公海上で、操業していた海外巻網漁船が異常な動きのヨットに気づき調べてくれた結果だった。その後、彼の遺体とヨットは漁船と海上保安庁の巡視船の曳航によって、横浜港へと運ばれた。
死因を特定できないほど損傷の激しい御遺体に対面し、私はまた泣いた。出航前にあれほど泣いたというのに・・・。

不思議な縁で、私はここ数ヶ月、彼と行動を共にしていた。ヨット航海を応援していたわけではない。ただただ彼の身体や慣れない久々の日本の生活や煩雑な手続きなどの心配をしてのことだ。
杖をつき、階段の昇り降りも大変で、ヨットへもようやく這い上がるような体力だった。それでも「太平洋を渡って米国に帰らなあかん!」と言い張る彼。心配した多くの方たちが説得した。「そんな身体で太平洋を渡るのは無理だ」と。海上保安庁の方も立ち入り検査と称して、説得してくれた。しかし彼は、米国人であり、ヨットは米国籍。強制的な指導は全く出来なかった。身近にいた私はすっかり娘のようだった。切羽詰って懇願も泣きもなじりもした。でも「しようがない。行かねばならぬ。」結局、聞き入れてもらえなかった。
そして、彼は海へと帰っていった。

彼は移民の息子として米国で生まれた。幼少時に父親の病気のため、日本に帰国。父親は太平洋上の客船の中で病死した。父の故郷に戻った彼は、海軍、中学教師、マグロ船の船頭を務めた後、40歳過ぎに妻子と共に渡米。米国籍となり、西海岸で長年造園業を営んだ。
8年前、自らが運転していた車で交通事故を起こし、愛妻を亡くした。7年忌を済ました後、すべての財産を処分し、約12メートルのヨットを購入。艇名は奥様の旧姓にちなんで「MIYA」と名付けた。そして、米国の墓に納骨した妻の遺骨の一部と共に、そのヨットで妻の故郷の日本を目指した。
「私が死んだら長野のお父さんのお墓のそばに埋めてね」
の妻の遺言を果たすために・・・。
どうして彼がヨットを選んだのか。そんな疑問に彼はいつも笑って答えた。
「飛行機はよー、落ちるだろう。船は大丈夫だ。太平洋は庭みたいなもんだしな。」
米国サンディエゴを出航し、タヒチ、ハワイと航海を続け、日本にたどり着いたのは昨年の12月。御蔵島の沖で見張り不足の漁船と衝突し、ヨットは大破。彼も腕に傷を負い1カ月入院。その間に彼の体力は相当に衰えた。2月、私が初めて会った時、彼はほとんど歩けない状態だった。
それから海の男の「介護」の日々が始まった。
わがままで頑固。良く喧嘩もした。でも良く手をつないで笑いながら歩いた。身体は不自由でも彼の頭脳明晰さにはいつも感心させられ、また多くの話は愉快痛烈だった。
奥様の御遺骨を長野の地に納める時も随行した。彼の育った地、和歌山県那智勝浦町へも長距離ドライブで一緒に行き、多くの友人たちと楽しい時を過ごした。
しかし、海の仲間の同情だけで彼のそばにいたわけではない。彼のことは、日本の歴史が生み出した社会問題と、いつしか私は捉えていた。
多くの日系移民が遭遇する社会的問題を彼も抱えていた。生きる場と故郷の違い。望郷の念。変わりゆく故郷と日本人。迫り来る老いと福祉制度。息子との間に生じる言葉と文化の壁。心の根っこは日本、逞しい精神を養った米国、二国間の生き方のバランス。
「畑下さん、戸籍は日本にあるから二重国籍だよ。ちゃんと申請すれば日本人として日本に住めるよ。」
「あかんあかん。一度日本を捨てた人間がこんな身体になってまたお願いしますなんて、そんなこと迷惑だろう。あかんあかん。」
「じゃあ、アメリカ戻ってどうするの。」
「そうだなあ。わしの金じゃまともな暮らしは出来んからメキシコでも行くか。本当は、このまま海をずっと航海してたいんだがな。」
「航海は無理だよ、その身体じゃ。」
「なんでだよー。」
「だって・・・・」
「ほーら、また泣く。これだから女はあかんなあ。」
「だって・・・・」
「しょうがない。行くしかあるまい!行かねばならぬ!」
彼は日本を愛し、また米国も愛していた。しかし、その狭間である広い広い太平洋に自分の身の置き場を見出していた。
彼が亡くなってしまった現在も考えこんでしまう。どうすれば彼を止められたのだろうかと。

6月15日、皆の反対を押し切って、畑下栄さんは「MIYA」で神奈川県三浦市シーボニアマリーナをひっそりと出航した。
雨が降り、時折強い風が吹いていた。彼はほとんど無言だった。片手で簡単に挨拶をし、視界の悪い海に消えていった。
隠れて乗り込んでシージャックしようかとも考えた。ヨットを壊してやろうかとさえ思った。畑下さんの足を引っ掛けて怪我でもさせてやろうかと酷いことも頭をよぎった。でも・・・何も出来なかった。
泣いて見送るしか出来ない自分がくやしく、その心を解ってくれなかった畑下さんが憎らしかった。

7月11日。彼が無言の到着をした後、海上保安庁と御親戚の方々の御理解を得て、ヨットの検証をさせてもらった。
「公海上で発見された米国人米国船籍のため、捜査権なし。事件性もないので事故の調査はしない」と海上保安庁の方から説明されたが、海難は残された者達に長年の苦しみを否応なく与える。それを少しでも消したかった。
漂流が長かったためかヨットの帆関連の損傷はあったが、エンジンや発電機、電気関係の故障はなかった。何かあってもエンジンで充分に対処出来る状態だった。
海図を調べた。彼はマグロ船の船頭を長年務めていたので、海図記入はしっかりする方だった。しかし、これは本当に残念だが、全く海図への記入はなかった。食事の後も見当たらなかった。出航後簡単に食べれるようにと積み込んだパンや果物もほとんど手がつけられていなかった。彼は出航後、相当
早い時期に船室で動けなくなったか亡くなった可能性が高い事がわかった。波の揺れで身体を支えきれずに倒れ、どこかを強打したのかもしれない。高齢のために海に体力が持たなかったのかもしれない。
しかし、もう、これ以上の推測は無理である。

ヨットと彼を発見してくれた「第18常磐丸」の皆様の判断力行動力、その素晴らしいシーマンシップには頭があがらない。
前代未聞の長距離の曳航をして下さった第2管区海保の皆様、それを引き継いで下さった第3管区海保の皆様。本当にありがとうございました。
横浜に入港し巡視船「いず」から長音一声と乗組員の皆様の敬礼で見送られた畑下栄さん。海の男としてのこれほどまでにない最期だった。
「こんなに日本に迷惑をかけてすまんすまん」と平謝りをしているだろうが・・・。

畑下さん、今日の風はどうですか?!波は良い加減ですか?!
魚は釣れてますか?!御飯ちゃんと食べてくださいね!
海は気持ちいいよねー!でっかいしさー!自由だしさー!
今日も御安航してくださいね!
畑下さんの大好きだったかみちゃまも毎日心配してるよ!
大好きだよー!畑下さん!
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7月16日17日・海の学校開催します!
 キューリ E-MAIL  - 05/7/1(金) 16:07 -

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    昨年は台風襲来で中止になってしまった「鹿屋・海の学校」ですが、地元の方々の海への気持ちは熱く、今年はさらにパワーアップして開催します。校長先生の私自ら、とっても楽しみで今からワクワクです!

<海の学校in鹿屋>
7月16日17日、鹿児島県鹿屋市の海辺を舞台に、様々なマリンスポーツ体験・地引網・海岸清掃・私の海のお話etc満載です!絶対に楽しいこと間違いなし!
小学5年生以上、50名募集、参加費は3000円(食事代・宿泊費・保険込)。

また、17日は<マリンフェスタ2005inかのや>も同時開催です。昨年は7000名の方が参加された海のBigイベント!海の学校のメンバーはこちらにも乱入?!して海の体験いっぱいします。特別ゲスト?!の私、こちらでも海のお話やクルーザーヨット「海連」の展示や体験航海などをやりまーす。
詳しくは↓を御覧下さいね!
http://www.city.kanoya.kagoshima.jp/iv/ivmarine/marine2005.htm

<海の学校>&<マリンフェスタ>、どのメニューを見てもワクワクドキドキです。海を眺めるだけでなく、濡れて遊ぼう!泳いで遊ぼう!貝や魚を採って遊ぼう!
皆様の御参加をお待ちしています♪


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大潮には海行かんばぁー!
 キューリ E-MAIL  - 05/3/9(水) 19:10 -

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   「こんばんわー!」
「おはよー!あ、ごめん、今仮眠してたからねー!」
奄美大島のヒロおばとの電話。
「もう少ししたら海に行くよ。風も今日はないし最高よ!久しぶりにタコとって来んばねー!」
ヒロおばの声は本当に嬉しそう。
奄美大島、珊瑚礁や海岸べりを歩いて海の獲物を狙うのを「夜漁り(いざり)」と言います。
現在、新月の大潮です。
ヒロおばと仲間達は大潮には野生の血が騒ぐみたい。
大潮の夜、午前0時前後に3時間ほどランプを手に海辺を歩き回ります。
皆、60−70歳の元気なおばぁ達です。
いいなあ!いいなあ!一緒に行きたいなあ!
「自然との共存」・・・などと難しく考えてるより、こんなおばぁやおば達の生活や楽しみこそがマトモだな、と感じます。
「タコとったら送るからよ! イラブチもおると思うよ。じゃ、海に行くからね!あんたも大潮には海行かんばぁー!」
「は、は、はい!気をつけてー!」
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春の熊・・・
 キューリ E-MAIL  - 05/3/8(火) 0:38 -

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   春の訪れをさわさわと感じてくるこの時期、海を思い出すのか、夏への準備なのか、訪問して下さる方や仕事の連絡が増えてきます。まさに冬眠からの目覚め!
GWや夏がメインとなる海の学校やヨットスクール開催の準備も、そうだよなあ、もう始めないとまずいよなあ・・・と、私の頭も冬眠から叩き起こされた熊状態です(^^;。

でも、鹿児島にいると、なかなか大変!
初対面の方から
「今給黎さんは鹿児島の海の発展のためにもっと頑張るべきです!」
などと、力強い演説をされてしまいます。
いや、そんな一対一で演説しなくても・・・(^^;
ま、ありがたいお言葉だとは思いますが・・・(^^;
故郷鹿児島の海はと〜っても大好きだし、私もそれなりに頑張ってはいるつもりだけど、そんな方々には「まだまだ不足!」
日本一のマリーナを作ろう!
国際ヨットレースを開催しよう!
錦江湾に観光客をどんどん呼ぼう!
ああ、もう20年ぐらい前からこんな言葉ばかりを聞いてきましたよ。そんな事を机上でだけで考える行政やコンサルタントや政界財界の方々にもいっぱい会いましたよ。
正直・・・はあ〜!またか〜!・・・
そんな形的な物や経済効果が大切なのも重々理解できますが、関わる皆さんがまず海で遊んでくださいよ〜!海を大好きになってくださいよ〜!海での遊び方も一から教えてなんて言わずに少しは頑張ってくださいよ〜!

毎年この季節になると私は同じ事ばかり考えてます。
ぼけ〜っとした頭で・・・。
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今日も生かされています!
 キューリ E-MAIL  - 05/3/5(土) 2:40 -

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   海と風と波を愛し、命と愛を見つめていた飯島夏樹さん。
「生きる」「愛」「家族」「死ぬ」・・・私が手探りで探しているものを表現して下さった方のように勝手に感じています。
「エンヤ」をバックミュージックに飯島さんのエッセイを読んでいると、不思議と心が綺麗に洗われ、まっすぐに生きる免罪符を頂いても良いのかな、と思います。
ね、読んでみて!

http://www.shinchosha.co.jp/tenkimi/essay/backnumber.html
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日本縦断航海日数150日・上陸地100ヶ所
 キューリ  - 05/3/2(水) 10:43 -

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   ・・・2年にわたる(夏だけですが(^^;)日本縦断航海は(鹿児島県大崎町〜北海道室蘭市)航海日数約100日、停滞日数50日、上陸箇所100ヶ所でした!・・・

<2004年・日本縦断後半航海停泊地>
08/07 北海道地球岬ゴール!  北海道室蘭市イタンキ漁港上陸
08/06     〃
08/05     停滞
08/04 噴火湾横断   北海道 室蘭市 追直漁港
08/03     〃
08/02     停滞
08/01 北海道 南茅部町 木直漁港
07/31 北海道 南茅部町 古部漁港
07/30 北海道 恵山町 恵山漁港
07/29 津軽海峡横断   北海道 戸井町 字原木町の海岸
07/28     停滞
07/27 青森県 大間町 大間漁港横のスロープ
07/26     停滞
07/25 青森県 むつ市 大字 関根 烏沢海水浴場
07/24 青森県 東通村 尻労漁港
07/23 青森県 東通村 白粕漁港
07/22     〃
07/21     停滞
07/20 青森県 六ヶ所村 むつ小川原港内の砂利浜
07/19 青森県 八戸市 白浜海水浴場
07/18     〃
07/17     停滞
07/16 岩手県 久慈市 小袖漁港
07/15 岩手県 普代村 弁天漁港(ネダリ浜)
07/14 岩手県 岩泉町 茂師漁港     
07/13     〃
07/12     〃
07/11     〃
07/10     停滞
07/09 岩手県 田老町 沼の浜海岸    
07/08 岩手県 宮古市 里の入り江の海岸      
07/07 岩手県 宮古市 姉吉キャンプ場海岸    
07/06 岩手県 山田町 小谷鳥漁港     
07/05 岩手県 釜石市 本郷漁港    
07/04 岩手県 大船渡市 吉浜漁港     
07/03 宮城県 本吉町 日門漁港横の砂浜    
07/02     〃 
07/01     停滞    
06/30 宮城県 歌津町 石浜漁港     
06/29 宮城県 桃生郡 北上町 十三浜 白浜ファミリーキャンプ場海岸    
06/28     停滞
06/27 宮城県 桃生郡 矢本町 友人の船の上    
06/26 宮城県 七ヶ浜町 小浜港       
06/25 宮城県 七ヶ浜町 松ヶ浜漁港     
06/24 宮城県 亘理郡 亘理町 荒浜 鳥の海    
06/23 福島県 相馬郡 鹿島町 鳥崎海浜公園     
06/22     〃
06/21     〃
06/20     停滞
06/19 福島県 双葉町 双葉海水浴場     
06/18 福島県 いわき市 久之浜町 久之浜海岸    
06/17 福島県 いわき市  いわきサンマリーナ    
06/16     停滞
06/15 茨城県 ひたちなか市 阿字ヶ浦海岸    
06/14 茨城県 鹿嶋市 鹿島港北の海岸     
06/12     〃
06/13     停滞
06/11 茨城県 鹿島郡 波崎町 海岸     
06/10 千葉県 銚子市 銚子マリーナ     
06/09 千葉県 飯岡町 飯岡漁港     
06/08 千葉県 八日市場市 新川大橋河口の砂浜     
06/07 千葉県 山武郡 九十九里町 片貝漁港
06/06     停滞    
06/05 千葉県 勝浦市 鵜原 鵜原海水浴場     
06/04 千葉県 安房郡 天津小湊町 天津付近の海岸    
06/03 千葉県 安房郡 白浜町 野島崎西漁港    
06/02 浦賀水道横断    千葉県 富浦町 南無谷海岸
06/01     〃
05/31     停滞    
05/30  神奈川県 三浦市 諸磯湾 おとときゃびん前
05/29      停滞    
05/28  神奈川県 藤沢市 江ノ島 江ノ島ヨットハーバー    
05/27 神奈川県 小田原市 国府津の浜辺     
05/26 静岡県 伊東市 伊東サンライズマリーナ    
05/25 静岡県 伊東市 赤沢海岸     
05/24 静岡県 南伊豆町 稲取漁港     
05/23     停滞      
05/22 静岡県 南伊豆町 石廊崎長津呂漁港     
05/21     〃
05/20     停滞
05/19 静岡県 賀茂郡 賀茂村 宇久須キャンプ場海岸    
05/18     〃
05/17     停滞 
05/16 静岡県静岡市三保海岸日本縦断後半航海出航−沼津市 我入道海岸

    
<2003年・日本縦断前半航海停泊地>
09/27 静岡県 静岡市 清水港      
09/26 静岡県 静岡市 用宗(もちむね) 用宗漁港      
09/25     〃
09/24     〃
09/23     〃
09/22     〃    
09/21     〃
09/20     停滞    
09/19 静岡県 焼津市 田尻海岸      
09/18 静岡県 御前崎町 マリンパーク御前崎     
09/17 静岡県 磐田郡 竜洋町 天竜川河口の土手    
09/16     停滞
09/15 静岡県 浜名郡  舞阪町 海浜公園     
09/14     〃
09/13     停滞
09/12 愛知県 赤羽根町 赤羽根漁港      
09/11 伊良湖水道横断   愛知県 渥美町 和地の海岸    
09/10     停滞 
09/09 三重県 鳥羽市 石鏡町 石鏡漁港 

09/08 三重県 志摩町 和具漁港     
09/07 三重県 度会郡 南勢町 田曽浦漁港      
09/06 三重県 度会郡 南島町 小方竈      
09/05 三重県 北牟婁郡 紀伊長島町 海野      
09/04 三重県 尾鷲市 早田町     
09/03 三重県熊野市木本町 木本港
09/02     〃
09/01     〃 
08/31     〃
08/30     停滞
08/29 和歌山県 新宮市 三輪崎港のポンツーン    〃    
08/28 和歌山県 串本町 橋杭海水浴場         
08/27 和歌山県 日置川町 志原海岸       
08/26 和歌山県 白浜町 富田川河口の港       
08/25 和歌山県 白浜町 白浜 ホテル街前港    
08/24 紀伊水道横断    和歌山県美浜町三尾漁港    
08/23 徳島県 阿南市 蒲生田 伊島漁港      
08/22 徳島県 海部郡 日和佐町 日和佐浦 大浜海岸      
08/21 徳島県 海部郡 海部町 鞘浦 手倉海水浴場       
08/20 高知県 室戸市 佐喜浜漁港     
08/19 高知県 室戸市 西難漁港     
08/18 高知県夜須町ヨットハーバー経由・高知県 芸西市の海岸     
08/17     停滞
08/16 高知県 高知市 種崎港 高知ヨットクラブスロープ    
08/14      停滞 
08/13 高知県中土佐町 久礼海浜公園

08/12 高知県佐賀町  佐賀漁港横の公園岸壁     
08/11 高知県土佐清水市   布漁港    
08/10 豊後水道横断    高知県大月町  大浦漁港    
08/09     〃
08/08      〃
08/07      停滞 
08/06 大分県南海部郡  米水津村 色利浦漁港     
08/05 宮崎県延岡市     安井漁港     
08/04 宮崎県延岡市     樫の浜     
08/03 宮崎県日向市美々津町 美々津港     
08/02 宮崎県川南町  通浜港内海岸    
08/01      停滞
07/31  宮崎県新富町  一ツ瀬川の河口の草むらの土手    
07/30       停滞
07/29  宮崎県宮崎市  宮崎マリーナ    
07/28  宮崎県串間市  築島対岸の港    
07/27  宮崎県串間市  黒井漁港    
07/27  鹿児島県曽於郡大崎町 くにの松原キャンプ場前海岸 日本縦断航海出航!

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