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<海は広いね大きいね・日本縦断風の旅(後半)>1 キューリ 05/3/2(水) 10:22 [画像あり]

<海は広いね大きいね・日本縦断風の旅(後半)>1
 キューリ  - 05/3/2(水) 10:22 -

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   ・・・「舵12月号」に掲載の報告記事です!マリン賞受賞記念に(^^)!そして多くの応援して下さった皆様に感謝の気持ちを込めて・・・

4.3m30kgの帆かけ舟(アクアミューズ)による日本縦断航海に挑戦する事に決めた。昨年7月27日鹿児島県大崎町の海岸を出航。9月27日静岡県静岡市清水港到着。北風が吹く季節になり前半航海は終えた。
そして2004年夏、静岡県−北海道の後半航海に挑んだ。
風まかせ波まかせ、前代未聞の小舟での航海、毎日が命懸け、はらはらどきどき。
「こんな舟で無理だ」「早くやめて帰った方がいいぞ」と海に生きる日本各地の方々に説教されながらも、ゴールと決めた北海道地球岬を「しゅらしゅしゅしゅ!」目指すのだ!

<どうしてこんな航海を?>

「どうしてこんな航海をやるんですか?」
ここ十数年、耳にタコが出来るほど聞かれた質問だ。太平洋横断の時も単独無寄港世界一周の時も・・・まあ、とにかく私が航海に行く度にこの言葉は付いてきた。
あまりにも小さな、一人でひょいと担げるほどの帆かけ舟での日本縦断航海、今回の航海でも随分質問された。
「えー、、、日本の帆かけ舟や海の文化や状況をこの目で確かめたいからです。先人の勇気を感じたいのです。」とその度に丁寧に答えた。もちろん、その質問をされた方は「ほほー・・・」と納得したのかどうだか解らないが感心した表情で頷いて下さる。でも正直なところ「やりたいからやる!」のであって、明確な理由付けはないに等しい。
私は興味のある物にはトコトンのめり込む性格だ。好き嫌いの片寄りも相当なもの。そんな私がトコトン好きなのが、海とセイリング。しかしそこに他人の真似が嫌いというスパイスが加わると・・・・必然的に海とセイリングの世界で自己開拓の道を選択する事になる。
高校時代からディンギーレース、20代からクルーザーでのレースや冒険や旅、興味のある事は何でもやってきた。その様々な中で「私だからやれる!私だからやる!」を目指した。単独無寄港世界一周航海も自己開拓した。地球気象の研究から始め、コースも装備もすべてゼロからの手探りだった。その後、私の航海を参考に世界一周に挑戦したセイラーは多いが、二番煎じに魅力はない。最年少、最年長、、、重箱の隅をつつくような条件は数の遊びに過ぎないし、女性の私に出来たのだから力強い男性が成功するのは当然。男性だったら地球5周くらいやらなきゃ!男の意地だ!がんばれー!
「自分の心の奥から純粋に湧き出る海やセイリングへの欲求。これに忠実に従うのが、大切な事であり私らしい。」・・・・そう思っていたここ数年、私は日本の海をディンギーのような小舟で航海したい、と妄想していた。考えただけでゾッとするし、そんな航海を自分が出来るのか不安にもなる。しかし日本の海岸を舐めるように見るのは良い勉強になるだろう、前代未聞の航海をやり遂げたら楽しいだろう事は簡単に想像出来た。
そして昨年、ディンギーの練習に励むジュニアの子に言われた言葉が私のセイラー魂に火をつけた。
「ねえ、きゅうりさんって大きなヨットで世界一周とかしてるけどさぁ、ディンギー乗れるの?」
無邪気な子供の言う事に素直に反応してしまう単純な性格にあきれつつ、「私だからやれる!私だからやる!」航海に旅立つ事に決めた。
 決心してから出航するまでたった2週間・・・。でも妄想の期間が長かったから計画はだいたい頭の中で組み上がっている。用意した舟は重さ30kg長さ4.3mの帆かけ舟!やってやるぞー!
心の奥から純粋に湧き出る欲求に従うと、とんでもない事をやらかしてしまう私に周囲は苦笑していたが・・・。


<生きてさえいれば・・・恐怖の後半航海初日>

「ああ!砂浜だ!木っ端微塵は避けられた!」
高波と暴風の水飛沫の中、風下の海岸線にわずかに砂浜を確認した。30m近い暴風になぎ倒され、もう何度沈しただろうか。舟は舳先が浮いているのがやっと、帆は破け、水中の舵を私は必死で操作した。ただただ風下に流されるしかない状況の中で。
2時間前、駿河湾をひとっ飛びして伊豆半島に渡るつもりで静岡市三保の海岸を出発した。見送りの方々に爽やかに手を振って。しかし、伊豆半島を目の前にして風は荒れ狂い、海況は悪くなる一方。海面を白く沸き立たせる猛烈な南風とうねりに何の抵抗も出来ず、私と舟はひたすら風下に流されるだけだった。
生きてさえいれば良い・・・・そんな切実な想いで流され続け、見知らぬ砂浜に打ち上げられた。ずぶ濡れ。寒い。水がたっぷり入った舟は悲しいくらいに重い。
「あんた!今日海に出るなんて無謀だろうが!」
海岸にいた貸しボート屋の親父さんが血相変えてやってきた。
「はい・・無謀だと思います・・・あの・・それで・・ここどこですか?」
「沼津の我入道だ!」
ジップロックから取り出した携帯電話は奇跡的に無事だった。見送って下さった方々に連絡をとる。
 「あ、今給黎です!生きてます。生きてます!沼津の我入道って所の浜に上陸っていうか、打ち上げられました。救助要請してませんよね?大丈夫ですから。」

2004年5月16日。これが日本縦断の後半航海の初日だった。北海道がはるかはるか遠くに感じた。打ち砕かれた。


<海が怖い。だけど・・・>

「海が好き!風の冒険や旅が好き!」と言っても、私にも海や風に対する恐怖心はもちろんある。
沼津の砂浜に打ち上げられて3日間、強風がやまぬ駿河湾を目の前にその恐怖心はピークだった。海に出てまたあんな目に遭ったらどうしよう・・・脳裏に焼きついた嵐の光景は夢にまで現れ、小舟での航海の自信を失いかけた。
そんな私を助けてくれたのは「海を愛する人々」だった。沼津で同じ舟を所有している方は、遭難者の私を自宅に招いて世話して下さった。海岸で釣りをしているおじさん軍団の方々は、駿河湾の風や波や魚の話を毎日楽しく聞かせてくれた。
そして、すっかり海が穏やかになった日の早朝、私の出発をその方々全員が見送ってくれた。
「今日は大丈夫だぞ!頑張れよ!でも無理するなよ!」
再び海に浮かび、数日前に打ち上げられた我入道の浜を振り返ると、海の仲間の笑顔がずらりと並んでいた。
「ありがとうございます!いってきまーす!」

その後も多くの方々に支えられた。
強風&高波&濃霧避難で航海出来ない時、偶然知り合った方のお宅に御世話になった事も度々。漁師さんに「これ食べろ」と海の幸を頂いた事も多かった。
 舟のあまりの小ささと私が女性という事で同情を頂いたのかもしれないが、皆さんの心からの励ましに勇気づけられる毎日だった。本当に・・・。

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