I'm here! / Kyoko Imakiire

この掲示板はキュウリからの連絡を掲載しております。投稿できません
航海中の連絡の記録です、みなさまの声援は「なんでも掲示板」まで

21 / 775 ツリー ←次へ | 前へ→

<海は広いね大きいね・日本縦断風の旅(後半)>2 キューリ 05/3/2(水) 10:31 [画像あり]

<海は広いね大きいね・日本縦断風の旅(後半)>2
 キューリ  - 05/3/2(水) 10:31 -

引用なし
パスワード

[画像あり]〜添付ファイル〜
・名前 : 21(2).jpg
・サイズ : 67.1KB
   <各地の海事情観察>

後半航海は、静岡県・神奈川県・千葉県・茨城県・福島県・宮城県・岩手県・青森県・北海道の海岸線を通過する航程となる。目指すは北海道の地球岬。
小さな帆かけ舟だから朝出航―夕方どこかに上陸せざるを得ない。また各県の海岸線を舐めるように進むからこそ、各県の漁業状況、海に対する考え方や取り組みなどの相違点がわかって非常に面白い。私の住む南国のおおらかな海との違いもいろいろ考えさせられたが。
養殖の盛んな海域はまさに障害物競走!見渡す限り浮いているブイ、そのブイを繋げているロープをくぐり抜けなければならずに苦労した。小さな舟だからひょいと上を通過する事は簡単なのだが、持ち主が見たら良い気はしない。海のマナーとして頑張った。
「プレジャーボート・ヨット入港禁止」と明言された漁港も多かった。私の舟がヨットと言えるのかどうかわからないけれど、とりあえず入港して漁師さんに尋ねると「こんな舟、邪魔になる大きさじゃないからあそこにでも上げておけよ」どこでもそんな具合だった。
地元の高校生が小さなアワビ2個の密漁で警察にしょっぴかれる姿を見た事もあった。北の海の海岸線には密漁監視小屋が建ち並び、密漁監視船も多い。アワビ、ウニ、昆布、ホタテ貝、ホヤ、海の恵みは生活の為の資源として厳しく管理されている。そこにあったから採ったではすまされない!潜り漁の好きな私だが、海を眺めているだけで監視の目が光る事を知り結局一回もしなかった。残念!でも「日本縦断中に密漁で逮捕」なんて新聞に載るのもいやだしなあ。
三陸のリアス式海岸は風光明媚ではあったが、大地震の津波被害で海沿いの集落が壊滅状態になった経験を持つ。人々は海を仕事の場としていても、笑顔で海に向く機会は少ない事も知った。
発電所や軍事演習場が位置する海岸沿いを進む時は緊張の連続だった。要塞のような防波堤、常駐する巡視船、その前をこんな小舟で通り過ぎるのに遠慮は必要ないのだが、妙な覚悟と勇気がいる。
青森県六ヶ所村沖通過中に実弾射撃訓練に遭遇した時は、本当に恐ろしかった。「ズドドドドドド!!」と突然目の前の砂浜からミサイルが発射され、「ボンボンボン」沖から着弾した音が聞こえる。波の高い砂浜には上陸出来ず、演習が終わる夕刻まで海上待機。監視船であろう漁船がはるか沖に浮かんでいたが、こちらに気付く気配もない。「いったいここはどこの国なんだぁ」とその手の知識にうとい私は半べそで嘆いたが、地元の方々に尋ねたら「いつもの事だ。知らない方が悪い」と笑われた。
宮城県では「忘れ去られた水と航海の文化」の再現をした。十数年前ここを訪ねた時に「伊達政宗の作った運河」を教えてもらったのが脳裏を離れず、「宮城では運河探検をする!」を決めていた。調べてみると明治時代に作られた運河もある。宮城県石巻市から運河と水門&北上川&旧北上川を利用して海から海へのワープコースが存在する事もわかった。でも地元の方も行政の方も「ここ近年通った船は皆無」と残念なお返事。しかし、、、、やった。やらせて頂けた。海から海へのワープコースは、まさに宮城県の歴史と文化を肌で感じられた感動の航海だった。
驚きの連続。日本はなんと多様な海と多様な海岸線を持つ国だろう!海に関する考えや風習や環境は、隣町に行くとまるで違う。海で繋がっているはずの日本なのに、海がすべてを遮断する役割も果たしている。陸から訪ねても絶対に知る事の出来ない「日本」があった。面白い!


<毎日が孤独なヨットレース>

小舟での航海は、競う相手のいないディンギーレースを繰り返すような日々。
毎朝、どこかを出航する。砂浜だったり漁港だったりマリーナだったり様々。そして、風を最大限につかみ陸伝いに北上を続ける。
出航がレースのスタートだとしたら、夕方上陸するのがゴール。そのレースの中で回るべきマークは、ある時は断崖絶壁の岬、ある時は大型の貨物船、ある時は何千個と消波ブロックが山積みされた防波堤。あのマークを有効に回るにはどうすれば良いか、潮風の変化を最大限に利用できるコースはどれか、などと常に頭をひねった。
ディンギーレースと明らかに違うのは、レスキュー艇がいない事と競う相手がいない事。自分だけが頼りであり、挑戦的かつ冷静な判断なしには出来ない壮大なディンギーレースだった。
コンパスと県別道路地図だけの航海術も最高に面白かった。GPSなど航海機器は一切使わなかった。有視界航行を行うのにGPSは必要ない。逆に危険で面倒。陸地の見えない沖に行きたくなるし、海図が必要にもなる。水深の数字も必要ない。喫水は60cmしかない舟なのだから。しかも浅瀬は色の違いで一目瞭然。私の視力は2.0!
ディンギーレースをしながらクルーザーで学んだ航海術を駆使する、まさに私だから出来る航海なのよねと悦に入る事しばしば。でも突然の嵐になり、慌てふためいて上陸するリタイヤも多かった。北日本海域は海水温が低く、沈したら命とり!また悲しいかな、無風や向かい風になりリタイヤした事も多かった。

<漫画のような冒険日記>

「きゅうりの航海はまさに冒険漫画だな!面白いよ!」
今回の航海ではそのようなお褒め(?)の言葉を随分頂いた。日頃からヨットや海の事をもっと一般の方々に知ってもらいたいと願っていたので、原始的な航海とは裏腹に、航海日記をホームページに掲載した。ほぼリアルタイム!いや、これが実に面白かった楽しかった!
揺れる舟の上で「パシャ」と携帯電話で写真を撮り、短い文を添えてメールで送信。そして仲間がすぐにアップ!パソコンさえあれば、私が今どんな状況の海にいるのか、暑いのか寒いのか、何を楽しんでるのか、、、が見て取れる。日本国内はもちろん、外国にいる友人も楽しみに見ていたらしいから嬉しい事である。
激流の津軽海峡横断の時は、ホームページを見ていて下さる方々を随分とハラハラさせた。お昼を過ぎて良い風が吹き出し「よし!今から渡ります」と突然の横断宣言。クルーザーでも何度も戻されるような強力な潮が流れる海峡を小舟でどう渡るのか、失敗したらどうなるのか、、、もちろん私も怖かったが、パソコンで見守る方は私以上に心配してくれていた。皆さんの予想に反して、順調過ぎるほどの風に恵まれ、なんとたった3時間で北海道到着!その後、とーっても自慢げな私の顔写真がホームページに掲載されたのは言うまでもない。うふふ!
電波上だけでなく実際の出会いも最高に素敵だった。「このあたりを走ってるんだろうな」「今夜はこの港に上陸したんだよな」と多くの方が私を捜して訪ねて来てくれた。自分から出会いを求めないと孤独になりがちな航海なのだが、各地で「ホームページ見ておっかけてました」と言って下さる方々との驚きの出会いと愉快な時間に恵まれた。
時間と空間を電波で飛び越え、旧知の親友のようになってしまった方々数知れず。有名な冒険スペクタクル海賊漫画にちなんでつけた私の舟の名は「ワンドリームこども号」だが、まさに漫画のように素敵な仲間捜しの航海をしていたような気がする。

<心いっぱい>

書き切れない!
私が見た風景、感じた事、出会った人々、苦しかった事、楽しかった事、怖かった事、日本の海の問題点、綺麗な事、汚い事、感動した事、嬉しかった事、空しかった事、死にそうになった事、慌てた事、和んだ事、腹が立った事、、、、、多すぎて書けない!書き切れない!
私の心はすべての事を受け止めて受け入れて、満ち溢れている。心の扉を開いたらそれこそ満水のダム放流状態な感じ。心を整理してこの航海の事を誰かに伝えるには、膨大な文字(or言葉)と時間が必要だ。
それほど素晴らしい航海だった。

2004年8月7日、日本縦断最後の日。北海道室蘭市の追直漁港を出航して、ゴールと決めた地球岬に向かった。澄み切った追い風の中、断崖に囲まれた岬の灯台が前方に白く輝いていた。理想的な海況のおかげでわずか30分で岬下の岩場に辿り着く。
「地球岬だ!地球岬だよ!」
私はひとりでつぶやいた。そして毎日の日課の写真&メールを送信。わずか数十秒で「おめでとう」と全国の方々からのメッセージが掲示板に届いた。地球岬の展望台から手を振っている友人の姿も小さく見える。
 風まかせ波まかせの旅が終わろうとしていた。この航海で出会った方々の事が心の中を駆け巡る。様々な海の風景が思い出される。
ちっぽけなこの帆かけ舟、良くここまで頑張ってくれた!
自分・・・良くやった!
応援してくれた方々・・・ありがとう!
 「どうしてこんな航海したのかな?」
「やりたかったから!」
地球岬の下で自問自答しながら大笑いしている私がいた。

添付画像
【21(2).jpg : 67.1KB】

21 / 775 ツリー ←次へ | 前へ→
ページ:  ┃  記事番号:
49,774
(SS)C-BOARD v3.5.1 is Free.