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あのね、ここまで言われるのでしたら、せめてお名前くらい名乗りません?
きゅうり達が夢の島滞在中の毎週末4回Miyaに通い、2回目には舳のキャビンに寝て明け方目覚め。
3回目は艫のデッキで真夜中過ぎまで過ごして来た者ですが、何か悪い事だったかしら?
言われるところの『酒盛り』だったのでしょうね?若しかしたら目撃されたのかな?
Miyaに対して、畑下爺に対して何か多少なりともお手を差し延べられた事でも?
三崎・夢の島と遥々鹿児島から駆けつけて畑下爺と過ごし、惨劇の後のMiyaを完璧なまでに
磨き上げて最高の状態とし、最高の条件で売却して爺とご遺族にに報いてあげよう・・・って。
2度の台風にMiyaでスタンバイし、昨日夕のMiya離れる寸前まで夢の島に心を残した二人が、
何故、名前も名乗れないようなお方に、こうも言いたい放題されなきゃいけないの?
Miyaのデッキでの私どもの飲食?そう?あれは『酒盛り』だったのでしょうねぇ?
三崎でも夢の島でもファミレスかコンビニ弁当か、マリーナ食堂のランチの日々。
ただでさえ野菜食不足の二人に自家菜園で収穫した物を調理し、攻めての気晴らしに・・・と
取って置きの一升瓶を抱え、彼等のお昼〜夕食に間に合うように・・・と東関道を1時間突っ走り、
『さぁ、きゅうり達イ おつかれさんだったよね〜、喰おうよ!飲もうよ!』って、紙皿で
デッキに広げ、いつもMiyaに気遣いしてくれている隣の艇の方やマリーナの方達にも声を掛けて、
それはそれは楽しい『酒盛り』でしたよ!
穏やかで和やかな、とても意義有る『酒盛り』でしたよ!
日の有る内に始まった『酒盛り』が、延々と数時間以上。
口下手で人の言う事聞く耳持たないようなこんな自分があんなに長時間、愉快そのままに
過ごす事出来たのは、きゅうり達と共有出来る大切なものが有ったからですよ。
Miyaの上で、畑下爺の在りし日の事をあれやこれやと、留めなく・・・
良くもまあ、あんなに延々と、爺のものがたりだけで何時間も過ごせたものです。
あのね、この様な語らいも『酒盛り』なのかしら?
ねぇHa-maさん、13日の『酒盛り』、楽しかったね〜
爺敬愛の石田船長も輪になってくれて、我等には最高の畑下爺とMiyaを偲ぶ集いだったよね〜
何で見てもいない方が、あれを『酒盛り』呼ばわりするのかしらね〜
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