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世界の海の仲間から・・・・ 今給黎教子 05/7/7(木) 16:31
サンディエゴ・Uedaさんより 今給黎教子 05/7/7(木) 16:33
「よこすか」船長より 今給黎教子 05/7/7(木) 16:39
よこすかの皆さま 大木 強 05/7/7(木) 20:41
第18常磐丸より 今給黎教子 05/7/7(木) 16:48
Re:第18常磐丸より ヨット・ひなの 05/7/7(木) 21:37

世界の海の仲間から・・・・
 今給黎教子 E-MAIL  - 05/7/7(木) 16:31 -

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   畑下さんの訃報を知った多くの方からメールを頂いています。
皆様、様々な想いの中で畑下さんの事を語ってくださっています。
これらのメールは私宛ではなく、畑下さん宛であり、畑下さんと関わりのあった多くの方々へのメッセージだと思います。
掲載の了解は得ていませんが、私だけが読むのには・・・ごめんなさい・・・苦しいです。どうぞお許しください。
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サンディエゴ・Uedaさんより
 今給黎教子 E-MAIL  - 05/7/7(木) 16:33 -

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   サンディエゴ在住のUEDAです。
以前、BBSで書き込みさせて頂きました。

先程、畑下さんに「MIYA」を売ったディーラーのアランと話しました。
畑下さんの甥さんから昨日悲報が届いたそうです。
アメリカのコーストガードからも知らせがあったそうです。
思い出になってしまった畑下さんの逸話を聞かせてくれました。

「MIYA」の艤装をしたメキシカンの業者達、畑下さんにヨットをレッスンしたキャプテン、そしてアラン、畑下さんに関わった人は、みんな畑下さんの人柄に引き寄せられ、今は、悲しんでいます。

キャプテンは、「MIYA」をポンツーンに付けた時に、スターンパルピットからモヤイを手にまるで16歳の少年のようにポンツーンに飛び降りた畑下さんに驚き、
「もうしないでくれ!」と懇願したそうです。

メキシカンの業者達は、日本語訛りの強い英語に困惑しながら、人柄に惹かれて、
畑下さんの繰り出す難題をやり遂げたそうです。

アランは、衛星電話の使い方を完璧に教えられなかったのを未だに悔いています。

「出来るだけ多くの人で、畑下さんが天国で奥さんと暮らせるように冥福を祈ろうよ。」

と約束しました。

海で召される事を神様に許された畑下さんの冥福を祈ります。

                        Ueda
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「よこすか」船長より
 今給黎教子 E-MAIL  - 05/7/7(木) 16:39 -

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   「しんかい6500」支援母船「よこすか」の石田貞夫です。
教子さんから畑下さんを出港させたら途中で死んでしまう、船長しか止めること
はできないのでなんとか止めて欲しいと言われましたが、畑下さんから「石田さん、潮のかおりは何とも言えない気持ちの良いものだ。石田さんもわかるでしょう」と言われ止めることはできませんでした。
6月13日ごろに自分は航海中だったので電話で「畑下さん、もう会えることは
ないと思いますが必ず無事にアメリカに着いてください」と言ったら畑下さんは「イヤ、石田さんとは必ず世界の海のどこかで会える」と言ってくれましたので
自分は「合えないと言った意味は自分はまもなくこの職業を辞めなければならな
いからです」と言い直しました。
さきほど航海日誌を調べて見ましたら、丁度一年前の7月3日にタヒチのパペーテ に入港して、畑下さんが「よこすか」を訪ねてきてくれたのが7月4日でした。
教子さんから畑下さんのことを聞かされたのが不思議にも今年の7月4日でしたね。本当に不思議な気がします。
今日7月7日ですが去年の今日、畑下さんは「よこすか」を日本の国旗を振って
見送ってくれました。
その後、南半球の約半年間の調査を終えて12月13日御蔵島付近で漁船に衝突
させられた後にまた本船に会えるとは、その時も不思議に思いました。畑下さんも信じられないと言って驚いていました。畑下さんは自分に「石田さんの船は官の
船だから自分にかまわず予定どうりまっすぐ横須賀に帰ってくれ」と言ってくれ
ました。「巡視船の来るまで本船は側にいるから遠慮なく必要なことを言ってください。またボートをいつでも下ろせますから。」と言って、巡視船が来るまで側にいたのですが、畑下さんが右腕の関節の骨が見えるような傷を覆っていたとは全く気がつきませんでした。
それから「よこすか」は数日後駿河湾で世界記録の挑戦をしていたときに、畑下さんから電話があり清水の病院にいると知らされ、それで初めて怪我をしていたのを知ったわけです。
自分と畑下さんとは年の差もあり、住んでいたところも全く異なっていたのですが、なぜか年齢の差も感じず不思議にも気持ちがあっていたような気がしています。
畑下さんと電話で話しをすると必ず「次はいつごろ入港するのか、あえるのを楽
しみにしているよ」というのが口癖でした。
教子さん電話で話したように自分の職業は、まして一船の長として職場を離れる
ことはできない非常につらい立場です。約8年まえに自分の母親がなくなりましたが、その時自分は相模湾で調査をしていても最後の母親に会うことはできませんでした。兄弟はみんな亡くなる前の母親と話はできたのですが自分だけはそれができませんでした。
だから畑下さんの最後の姿を見ることはできませんが、必ず畑下さんは許してくれると思っております。

畑下さんは自分に勇気といくつになっても元気をくださることをことを態度で教
えてくださった非常に大事な友人でした。自分の一生のうちで絶対忘れることのできない非常に大事な友人です。本当に丁度一年のわずかな時間でしたが、貴重な一年でした。
自分は文章も話すことも非常に下手でうまく自分の気持ちを表すことはできませ
んが、自分の気持ちを察してくださるようお願いいたします。また、ご面倒でしょうが畑下さんの葬儀場所や何かわかりましたら是非しらせてください。
  

 7月7日 「しんかい6500」支援母船「よこすか」  石田 貞夫
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第18常磐丸より
 今給黎教子 E-MAIL  - 05/7/7(木) 16:48 -

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   ご丁寧なるお礼状ありがとうございました
早速サロンに掲示して各員に読んでもらいました 皆感激しております
家族も及ばない手厚い支援をしたあなたさまの心情を思うと胸にこみ上げてくるものがあり涙しながら読ませて頂きました 

昔の海の男の典型ですかね頑固親父は 小生の亡き父も漁船の機関長あがりで頑固一徹男でした
こうと思ったら自説は絶対に曲げない 黒いものでも白といったら白という感じで生きてました
それでもそういう父が自分は好きでしたがね・・・ 
畑下翁も同じじゃなかったかなーと思うと 
つくづくあの時代の海の男が悲しくて哀れに思えて仕方がないです

今はただ畑下さんの安らかなご冥福を祈るばかりです

ざおうが曳航を始めた場所から510マイル
第二管区の本部がある塩釜に向かったと思いますが
10ノットくらいで航走できれば早いのですがね (2日間以上はかかると思いますが)
本船は大事をとって6ノットで曳航しましたがそれでも船首に取り付けた曳航索が切れないか心配でした 
曳航索をセットしに行った甲板長の話ではMIYAには船首に曳航アイが取り付けられてないので 船首のアンカーホールドを利用してロープを通し船尾からとマスト付け根からの補助索をつけ すれ防止を巻いて万全を期してきたといってました大丈夫だと思いますが ちょっと不安は残ります
(ざおうもその曳航索利用して曳航するような話でしたので) 
後はざおうの入港待ちですね 忙しくなると思いますがご自愛のほど願います

漁労長からの伝言 
山川か枕崎に入港の折はお待ちしておりますのでぜひ来船下さるようとのことでした
第18常磐丸 機関長記す


追伸
心優しきわがクルーは畑下さんの遺体に毛布をかけて 水を添えて デッキに転がっていた杖を遺体のそばに添えてきたそうです(現場保存の関係もありこのことは保安庁に報告済みです)  以上報告でした


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よこすかの皆さま
 大木 強 E-MAILWEB  - 05/7/7(木) 20:41 -

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   石田船長・よこすかの皆様
一番最初は12月18日、神津島で初めて爺さまに出会った旅館でした。
『この酒は美味えんだぞぉ〜、Hawaiiでなあ・・・』って、さも昨日一昨日に有った事みたいな口振りでよこすか・しんかいの事を、とても嬉しそうに語ってくれたのでした。爺が飲むかと思って持参した郷里の五合瓶(焼酎)は放って置いて、Hawaiiで頂いたと言う日本酒を、『あんまり飲むなよ!』って言う感じの爺の目を盗んで、茶わん半分だけでした。
『やっぱり日本を代表する船だものなあ、味噌醤油から酒まで最高の品ばっかりだよ!
Hawaiiでは何から何まで世話になってなあ〜』って、写真見せてくれながら。

きゅうり夫妻やZenさん内海さん、爺と関わった誰もが何回も何回も聞かされた筈ですよ。三崎に来てからも2〜3回は、よこすかまで招いて頂きましたよね。
まるで、本当に、遠足に行く前夜の子供みたい。
何回も何回も、『よこすかの船長にまた招待されてなあ・・・』って、ねぇHa-maさん!
船長はじめ、乗組員皆さんの事をベタ褒めの爺でしたよ。

爺が、何故あんなにも大喜びしていたのか、今日のこのメールでしっかりと解りました。
爺もとても船長を慕い敬っておりましたし、船長もまた。
どうかどうか、畑下爺が『よこすか』の親切を心底喜んでいた事を、乗組員全員の
皆さまによろしくお伝えして下さい!

今の自分はMiyaと爺の帰りを静かに待っているだけですが、爺の事を伝えられるものがあれば何であれ、この欄借りて皆さまに伝え継いで行きたい思いです。

生きていてくれたら親父もまた、爺と同じ年頃でした・・・
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Re:第18常磐丸より
 ヨット・ひなの WEB  - 05/7/7(木) 21:37 -

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   >本船は大事をとって6ノットで曳航しましたがそれでも船首に取り付けた曳航索が切れないか心配でした 
>曳航索をセットしに行った甲板長の話ではMIYAには船首に曳航アイが取り付けられてないので 船首のアンカーホールドを利用してロープを通し船尾からとマスト付け根からの補助索をつけ すれ防止を巻いて万全を期してきたといってました大丈夫だと思いますが ちょっと不安は残ります

第18常磐丸の皆様
すばらしい曳航態勢準備、シーマンシップ、頭が下がります。
同じ海を愛するものとして敬意を表します。本当に涙が出ました。
ありがとうございました。
「よこすか」船長のお話、そして今回の第18常磐丸との出会い、もちろん陸上で支援なさった方々とのつながり、ただ神の(海の)巡り合わせとしか思えません。
決して美化しているわけではありませんが・・・。
蛇足ですが数年前ミクロネシアでトラブルを起こし島の方々始め多くの人々にご迷惑をかけ助けられた時の420マイル曳航の日記をリンクさせていただきました。

http://members.jcom.home.ne.jp/tsuse/vol8.html
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